何事も引き際が大事

実力把握と引き際



  • 自分の実力を正しく把握すること。
  • 引き際を決めておくこと。

この2つは如何なる場面でもとても大切だと最近になり感じることが多い。

いきなりお堅い話となってしまうが、バイクを乗る時や仕事、スポーツ、金融商品の売買やギャンブルに対する行動と決断力に関わることなのでつらつらと書いてみた。

人間の本質とは何か? 

人間の本質を語るのは難しい。専門分野の学問があるぐらなので、弱小ブロガーごときが何を言うというお叱りもあるかと思います。

但し、対象が何であれ人間は下記のようなブロセスを歩むのではないでしょうか?

  • 自分の実力を把握する。通常は力不足をまずは認識する。(興味、🔰初心者)
  • 実力がある人や、時には権力そのものに少しでも近づきたいと考える。(羨望、欲求)
  • 朝から一日中やりつづける。毎日努力する。もしくは数年かけて修行する。(努力、継続)
  • 少しずつ成果が出てくる。時間単位だったり日単位、月単位、年単位(結果、報酬)
  • 時には嬉しい結果がでる。人から認めらえれる。大きなリターンを得る。(達成感、満足感)
  • もっとやれるんじゃないかと自分を過信し始める(強欲、うぬぼれ)
  • 自信満々な気持ちの中で、自分を信じてよいのか、実力を過信しすぎているのか? 真の実力がある?それとも、ない?。 誤った判断をしている? いや俺は正しいはずだ! と2つの間を揺れ動く。(自問自答、仲間からの助言に心揺れる)
  • 迷いはあるが取り合えず、このままの考え方と行動や努力は継続する。(現状維持、経験則による行動持続)
  • その結果上手く行くことも増えてくるが、時には失敗もある。(停滞、環境変化、状勢変化、パワーバランスの偏り、景気変動、スランプ)
ここまでは誰もが経験する。いわゆる人間が成長するプロセスだと思う。
ところが次の選択や行動が人間の運命や成果、結果を大きく変える。

結果がでない場合の思考や行動 

①直ちに、”考えや行動が思い上がりで浅はかだった”  ”判断ミスだった” と
自分の力量不足を認め、素早く方針を転換する。

②原因の所在が自分にあることを考えもせず、他の人・物に責任に転換する。時には『何とかしなさい』と他人に押し付ける。

③過った判断や間違った行動を自分がやっていると認めたくない。? 俺にはプライドがある(プライドの定義を間違って理解?)、  心の片隅に自分自身の行動に疑問を抱きながらも ”認めたくない”という自分勝手な動機だけで、その行動をやり続ける。


①に偏り過ぎる人は、時として周囲から”考えが浅い”、とか”考えがブレる”とか言われる。又は。優柔不断三日坊主とか 良くないイメージのフレーズで表現される場合が多い。

②の人は最悪だ! 気が付くと自分の周りには誰も居なくなっている可能性が高い。
但し、権力(地位、金、軍事力?)がある人に対しては、そのエサに食らい付きおこぼれ頂戴とばかりに立ち振る舞うので、周りに全く居なくなることは稀であるが...

こんなことを書くとゴーン元日産会長が今後のルノーやNISSANの中でどういった状況になっていくのか気になる人も多いだろう。
(但し、本人の強欲さとは裏腹に行為そのものが法で裁けるかは現時点では未定。)

③の人は、そういう自分の特性を良く知っているにも関わらず、なかなか改めることができない。
話し合って少しでも良い解決方法や良い案を出す会議や話し合いの場であっても、とにかく自分の言ったことが正であり、口論、議論で負けたくないオーラをもった人もやっかいだ。

『なるほど、そんな考え方もあるのか.. それもいいかもね!』そういった相槌や同意も苦手である場合が多い。 もしかすると今まで『ゴメンなさい』の一言を言ったことがないかもしれない。(そんなことは流石に無いか......)

ギャンブル性の高いパチンコで例えるなら1万円負けて、更に1万円負けて、それでも同じ台に座り続け、もう一枚つぎ込もうとする心理。これは自分の行動そのものを間違った行動と認めたくない心理である。 それを証明したいが故の3枚目の1万円札投入だったりする。 

ここでの正しい決断は1万負ければさっさと帰る。もしくはパチンコ店そのものに行かないことだ。

とは言え②の場合はその行動の先にある結果や成果が大きく振れる。
つまり大成功か大失敗の両極端だ。

成功者とか世渡り上手と呼ばれる人は適材適所で①②③を上手く組み合わせて決断し、行動ができる人なのだろう。

苦労は買った方がいいのか?

若い時の苦労は買ってでもしなさい』と子供のころに言われた人も多いだろう。

この意味するところは、若い時に苦労すれば大人になってからその苦労が自分の経験や判断材料の元になり、最終的には良い結果に結びつく。 だから苦労を買えということだ。

しかし、世の中は残酷である。まった苦労せず。すべて人に押し付け、我がまま言い放題でも結局死ぬまで苦労はしなかったという人もいる。

どこかの王様か、独裁者か、もしくは資産家の子供さんとか...etc.

それでも苦労はした方が良いと自分は思っている。大切なのは苦労からどれだけのことを学ぶかに尽きる。

同じ苦労をしていて『なんでこんな苦労を...』と思いながら苦労する。これは苦労が好きな本当の苦労人である。 このパターンは絶対に避けたい。

そうではなく、『この苦労は今後こういう場面で大いに役立つはずだから、今の状況をこんなやり方で工夫してみよう。切り抜けてみよう』と発想を転換し、苦労を楽しむ生き方なら買って経験してもいいかもしれない。

賭け事と性格判断

ギャンブルとは一般的には非常にリスクのあることに身をおきつつ、安全じゃないこと知りつつも、その先にあるリターンが大きい為に、自らその環境に身を預けることか?

変な話をすると、一度はギャンブル性の高いことをやってみると良いと私は思っている。
それは本当の自分の性格が判るということだ。 ギャンブルとは自分の本質を探るリトマス試験紙である。

ギャンブルに身を投じ大きな失敗や散財をしたとき、俺は命の次に大切なお金に対してはこういう人格の人間だったのか? とハット気づかされるのではないのか? 自分の真の性格を自分で分析するなら手っ取り早い方法かもしれない。

自分の本質を知る人は少ない。ギャンブルをやらない人はギャンブルが嫌いだからやらないのか? それとも一度ギャンブルに身を投じると抜け出せない自分を良く知っているからギャンブルには近づかないのか? 

自分を守る防護服。例えば耐火性能が消防士なみの服を着てればギャンブルという魔物に毒されないのか? よくある話だが、気が付いた時には依存症になっていた。という悲しい状況にはならないのだろうか?

強靭な心の持ち主でも何度も脳に勝った時の快感物質が刷り込まれれば、健全な判断が出来ていた脳もいつかは変わってしまうのは良く知られた話。

怖がるべき炎を怖くないと感じ始めたら、その消防士もいつかは命を落とすだろう。たどえどんなハイテク防護服を着ていても....。

昔、製紙会社のある御曹司が途方もない金額をカジノで散財したことをふと思い出した。

引き際が大切?

バイクで山の中や海辺を走る。 気持ちよさは格別だ! 複雑なコーナーを上手く駆け抜けるとバイクをコントロールできている満足感も高い。

いやいや ちょっと待て 『自惚れてないですか?』 時々自分に言い聞かせる。
安全運転していても事故に巻き込まれることも多々あるのだから、自分よがり、自分勝手、自己満足だけの走りは自重しなければ...

自分を戒めるのは自分、他人ではない。 スロットルを戻してのんびり走ればいいじゃない。 もう一人の自分の正しい助言を素直に聞こう! ゆったり トコトコ進むのがいいよね!




このブログはいつまで続くのだろか? ブログを永遠に続けることは難しい。 いつかは止める時が来る。 何時、どんな理由で、ブログを書くことをやめることになるのだろうか?

なんらかの決断が必要になるのか? 体力が続く限りは続けるのか?
ある目的を持って書いているなら、目的達成が一つの終着点となりえる。

ブログを書かなくなる可能性はあるが、単純に『ブログを書くのが好き』という理由が動機なら、更新頻度が少なくなろうと細々と続いていくような気もする。

また、まとまりのない文章になってしまった。

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